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師匠の追悼セイリング [ヨット]

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      ”師匠” が五日に亡くなった。

      
      ”九日に追悼セーリングをしましょう、、” とコック長からメールが入った。
        
                雨の予報が出た後、
        
      ”オーニングをして走りましょう、、” と追伸があった。


      朝は、予報通りに降っていて、気温も低かったので、
        防水の防寒着を着て、防水カメラを持って出かけた。

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     シーホースに着く頃には、雨は止んでいた。



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    初めて出会ったのは、十年くらい前になるのだろうか。
     コック長のヨットに誘われた夫に、ついて行って、      
   
     「、、、僕のお師匠さんです。」と紹介された。
           
         にこやかで親しげだった。
    
 

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                    (予想に反して結構な風が吹いていた。)
 
    
   
    当時の繋留地グリーンヤマトに、
          集まったヨット何隻かで、レースをすることになった時がある。
      
    岬を廻ったところで、ブルーノートだけが、スピンをあげたのだろう。
           (当時はそれも分からなかった。)
   
    後ろの艇との距離がグングン開いて行って、
        あっという間に、小さく見えるようになった事があった。



      その鮮やかな展開に、
     風の掴み方で、こんなにも違うものなのだと、心底驚いた。
           

         
     当時は操船の具体的な事を何も知らなかったから、
              動きを漠然と覚えているだけなのだが、
         師匠の身のこなしは軽やかで、熟達した人なのだという印象が残っている。
      
                   、
   

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      コック長が昔、師匠と良く釣りをした辺りという
          火振り岬で献花し、焼酎とビールを捧げた。
                潮の流れが早くて、花がみるみる遠ざかって行った。
    
       
       師匠自身は節制やトレーニングといった事が苦手だったから、
          コック長や、大師匠は体の事を心配して、
               良く注意やアドヴァイスをしていた。
             
          レースの反省会で師匠の家に皆が集まった時、
               師匠がコック長の目を盗むようにして、
                 ビールを飲んだのを見たことがあった。
          

    

      今はもう何も節制しなくていいのだ、、
           そう思っていたら、大師匠も同じようなことを口にしながら、
          焼酎の蓋を開けていた。
              


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   師匠は物腰が優しかったから、分からない事など聞きやすかったが、
       何か尋ねても、返事がすぐには帰って来ない時があった。
     
          聞こえなかったのかなと思っていたら、
        つぶやくような声で返事が返ってきたりする。

    


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  静かな語り口だから、”おしゃべり”という印象はなかったが、
     茶目っ気のある人で、若いころの愉快な経験談もいろいろ聞いた。

       、
      学生時代、柔道の試合の時、
     体が小さく、まともに戦っても勝てないから、
    落とされて、気絶したふりをして、
    相手が動揺したところを負かした、、、といったような話。
 
          
   師匠自身が小さなヨットを持っていた若いころの、
            ヨットに夢中だった時代の話も聞いた。  
   
    
     ヨットを手放した後も、クルーとして 
  電車で大阪まで出かけて、参加したレースの事などは、
    好きな思い出話の一つだったのだろう。何度か聞いた。


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   師匠が亡くなった同じ日の朝、岩国のヨットマンが亡くなったと、
       大師匠のメールで知らされた。
        
       その方に面識はなかったが、
         ”一緒に出港したのでしょう” という大師匠の形容を読んだ瞬間、
          師匠がヨットに乗り込んで船出する映像が浮び、
                その背景の明るい光が、心に射し込んだように慰められた。
     
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      火振り岬のあたりだったかで、 
      一緒に出港したという方の事を尋ねると、
      大阪をはじめ方々のレースに、師匠がクルーとして参加した時の
               ヨットのオーナーだということだ。

      そのオーナーの事も、
          大阪レースにまつわる一連の話の中で聞いた事があった。

     
        パズルの画の隙間が随分埋まったような気がした。

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       夫と一緒に乗せてもらった何回目かの時、
     途中で急に雨が降り出し、海が荒れたことがあった。 
   
      それに懲りた事と、忙しくなったことが重なって、
       夫はヨットのお誘いに乗らなくなった。

 
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       一人でも乗りに行ってみようと、思い切って出かけるまでには、
          数年間のブランクの時期がある。 
      
   その間にヨットは今のブルーノートⅣになって、繋留地も変わっていた。
   
         何年ぶりかにヨットに乗ったその時は、
               宇和島のレースに行く直前だったのだ。


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     レースに備えてのワックスがけ等の作業をするというメールが入った時、
           自分にも、何か出来ることがあればと出かけて行った。

     ワックスをかける時に、乗る台が高くて足がすくんだ。
         今なら枠がないことを忘れて踏み外さないように
                   気をつけないといけないぐらいだが、
       その時は、片手はデッキの縁にしがみつくようにして作業をした。


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       作業が終わった頃、「今度の宇和島のレースに行きませんか」と
      コック長が誘ってくれた。

         いろいろ聞いていた話から、レースの時は遠くまで回航して行くという事に、
                 憧れのようなものを感じていたから、
        突然の降って湧いた夢のような話に、戸惑いながらも飛びついた。
   




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         でも、行くと答えた後から、何もできない自分がレースに参加するのは、
             やはり甘えすぎだと言う反省が起きた。
            

            帰りがけのコック長を追っかけて、つべこべと辞退しようとしたら、
         
       「一番勝負にこだわる藤井さん(師匠)が言い出したことだから、大丈夫です。
          僕もお誘いしようかと思ったんですけど、藤井さんに気をつかっていたんです。」
               と説明された。


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            穏やかな師匠が一番勝負にこだわるという事が
                当時は良く分からなかった。 

            そういえば、師匠の口から、回航は嫌いで
         、レースだけが好きなのだと言うのも聞いたことがあった。      
           
         昔は、船足を早くするために、少しでも軽くしようとして、
          見えないところの壁まではがすようなルール違反もした、
            と言ったような話を笑い話として、聞いていた。

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       そんな師匠が連れて行こうと言ってくれたのは、
            掃除に来た私を連れて行かないのは、
               仲間外れにするように思えたのかもしれない。                

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         じゃあ一度だけ、と自分に強く言い聞かせて甘えたつもりが、
        気がついたら、図々しく乗り続けている。

         
         今、クルー顔をして、ヨットの上でのびやかに愉しんでいられるのは、
            あの時、回航とレースで、想像をはるかに超えた
                 すばらしい体験をたくさんしたからだと思う。

       
          そのことで、私はいつも師匠に感謝していた。

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       「そういえば、あの宇和島のレースが、
             レースとしては最後になったんですね。」

       

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コメント 6

コック長

師匠の写真 いい顔をしてますね
本当に悔しいです

by コック長 (2014-11-14 20:59) 

ちはやママ

「師匠」さんにお目にかかったことはありませんが、
reikoさんの写真で何度かお会いしたせいか、
遠い方だとは思えませんでした。

いつも優しそうな笑顔で
お見送りをされていましたね。
どんな方なのかなと思っていました。
今日もすてきな表情です。

大事なお仲間を失った皆さんの寂しさを思うと
言葉もございません。

reikoさんに出会えたことは
「師匠」さんのおかげでもあったのだと
私も感謝したいと思います。
by ちはやママ (2014-11-14 21:22) 

reiko

コック長へ 悔しいというコック長の字を読んだ途端急に涙がでました。
もう一度一緒にレースに行きたかったです
私よりもっと長いお付き合いで、一緒にたくさん遊ばれたコック長の無念さお察しいたします。

by reiko (2014-11-14 22:01) 

reiko

ちはやママさん
ご丁寧なコメントありがとうございます。
いつか又一緒に乗れる時が来ることをみんな願っていて、それぞれのやり方で励ましていました。師匠自身も頑張ったのだとおもいますが、残念です。

競技の場では内心闘志を燃やされたのかもしれませんが、日常的には穏やかで優しい方でした。

そうですね。ヨットにのっていなかったら、ちはやママさんにもお会いできませんでしたね。
感謝しなければならない事はたくさんです。
by reiko (2014-11-14 22:35) 

みねばあ

別れのため 出会いがあるんでしょうか
たくさんの思い出が お有りでしょうね
こんな素敵な追悼に お師匠様もさぞお喜びでしょう
合掌
      
by みねばあ (2014-11-14 23:39) 

reiko

みねばあさま
コメントありがとうございます。
こうしたお言葉いただくと、今はまだ不意打ちを受けたように涙がでてきます。たくさんの楽しかった事が思い出されました。

出会えてほんとうにありがたかったと思います。
by reiko (2014-11-15 00:43) 

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