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国東半島 [雑記]

      二月の中ごろ
      対岸の国東半島がくっきりと見えて、とても近くに思えた日があった。
      ここまで近く思えるのは、一年のあいだでも数回あるかなしかだ。

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                                                 (水瀬島)
        時折雪ひらが舞うような、冷たさを我慢してシャッターを切りながら、
        こんな風に見えることと、この冷たさは関係があるのかなあ、、などと考えていた。

富士山 [雑記]

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       冷たく晴れた日の新幹線の車窓から。


     これまでは、”あ、富士山”と突然気づいて、カメラを出した頃には、いつも遅くて
            まっとうな富士山の姿が撮れたことがありませんでした。



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       前景に工場などが入ると、
        北斎の頃にはこの辺りはどんなだったのだろうと想像します。




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          富士山は、
             いろいろな風景の中に突然現れたりして、
           その度、ああやっぱりあんなに高いのだと驚かされます。


写せなかった雲の事 [雑記]

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    散歩道で


    写真を撮るようになってから、 
   ちょっとハッとすると何でも撮ってしまう癖がついてしまって、
  カメラを持っていないと、そのことを残念に思うことがよくあります。

    以前ならたとえ美しい景色を見ても、珍しいものをみても
 それは、心にとめることしかできないのが当たり前でした。

    いつまでも覚えていたいと思っていても、
       きれいだったという事としてしか思い出せない記憶がたくさんです。

  本来それで良いはずなのに、
       先日は「こんな雲、二度と見ることはないだろう。」
            と、大事な機会を逃した気がしました。         

   大軍団と呼ぶに相応しい、
        圧倒的な量の雲がみんな、とき色を混ぜた柔らかなピンクに
         染まっていたのです。

空が真っ赤に燃えていて、
         恐ろしいほどの夕焼けは何度か見たことがありますが、  

     この日は空中が、優しい色で埋め尽くされていて、
                 何もかもを包み込んでいるようでした。

   雲はいくつもの大きな塊が集まったようになっていたので、、
          普通なら重い色の夕暮れを迎えるような雲です。

    それが染まっていたのは、ちょうど日の入るあたりだけ
   雲が切れていて隙間ができて、
        しかも上手い具合に入日が、反射していたのでしょう。


    そんな条件がここまで整う時が
           又いつあるのでしょう。

  心残りを引きずる自分を慰めたのは    
       ” どうせ撮っても、これは絶対表せなかった”
          という、変な確信に満ちた負け惜しみでした。
  
    


  

わたしは サラよ [雑記]

今朝、ふと思い出したシーンがありました。

5月に3歳になった孫は遊びながらも良くおしゃべりをする子でしたが、
 日本に着いたばかりの頃は
  「イーサベーラ カマーベーラ 、、」と
 お気に入りの歌を何かというと歌っていました。

  本当はイサベラカラメッラ という人の名前なのだろう、、と
  姉が覚えてきた歌なので、正確には知らない母親が言っていました。


 私たちには子供たちの発音の違いが分かりませんでしたが、
    3歳の子はまだ面白い発音をするらしく、上の二人がそれをからかって
  言わせてみてはくすくす笑った時がありました。

  初めは言われるままに繰り返していましたが、
 そのたびに笑われるので、突然

   「私は、サラよ!」
 
   と大きな声で、抗議でもしている調子で間をとりながら言いました。

    
 それから
    「そんなに笑うなら もう話してあげない!」
        と言ったそうです。

 言わされていた言葉を繰り返さないで、
   「私は、サラよ!」
     と切り替えした時の毅然とした響きに、幼い子の自尊心が感じられました。
         
        
          
       機嫌の良い子でしたが、
   その子が着いて間もない頃、疲れや時差ボケなどもあったのか
    訳もなく、ぐずぐず不機嫌な時がありました。

   一番歳上の姉がスプーンでスイカを口に入れてやっているのを
     すぐ上の兄が自分もマネして入れてやろうとしたら、
    それは種が入っているから、いらないと言い、
       
    種をとってやると、今は姉の方を食べてるのだから、それはいらないとか、
       機嫌をとってやろうとしている兄に意地悪をしていました。

      母親が言うのには、どこかでやられた時の仕返しをしているのだろうとの事。

   それでもその兄が、こんどはお気に入りの歌をうたってやろうとして、
      「イーサベーラ、カマーベーラ」  とはじめると
        
           「だめ! だめっ!だめーっ!」 と言っていたかと思うと、
    
       「ハヨが私の歌を だいなしにしたあ。」と言って泣き始めました。

     確かに3歳の子の音程の正しさからすると、
                   兄の方は少しいいかげんでしたが、、

     なんという立派な言いがかりかと、娘と二人であきれて陰で笑いました。


    以前、電話で子供たちの様子を一人一人聞くと
     娘が下の女の子の事は
     「わるい! わるい!」  と言っていました。

   
 「話を聞くと、大したことないのよ。
        わるいわるいと、嬉しそうに言うのよ。 」  と夫に電話の報告をしていました。

    今は、その「わるい!わるい!」の意味が分かります。




   
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    サラの ”イーサベーラ カマーベーラ” の歌を、録音し損ねたことが
        残念です。
         

  

     


離婚と結婚の知らせ [雑記]

日ごろご無沙汰している人から、年賀状などで近況を知らされると、
短い言葉でも一年の隙間が埋められたような気になることがあります。

ドイツのオーケストラでヴァイオリンを弾いている家族共通の友だちが
毎年カードを送ってくれます。.

少女時代から知っていて、はじめて出合った時の第一印象は
「妖精のようだ!」 でした。


今年クリスマスごろ届いたカードと共に
息子さんと一緒に写った写真が添えられてありました。
今ではすっかりお母さんらしい貫禄が出て、雰囲気が変わったなと感じました。


「やっと離婚が成立しました。」と報告があり、「人生はいい事もある」
特に息子と笑い転げている時等に思うと続いていました。
離婚が難航しているとは息子や娘から聞いていましたが、
いろいろ大変な思いをしていた事が伺えました。


改めて写真を見ると、
今又新しい一歩を息子さんと踏み出せる
喜びと自信が柔和な笑顔にあふれていました。

いたずらっ子そうな笑顔の息子さんが
お母さんの頭の上にかざした手が、花の髪飾りのように見えて、
妖精ではなくなったけれど、今度はフローラのようだと思いました。



一方で、年頭の挨拶と共に「引っ越しました。」と印刷された賀状も受けとりました。、
これまではいつも猫と一緒に写っていた写真にご主人が加わりました。
引越し先の住所には、ご主人の名前がならんでいました。

ご主人とは付き合い始めてから長い年月がたちますが、
それぞれにプロフェッショナルな仕事をもっているので、
その仕事と仕事場の都合でずっと離れて別々の暮らしでした。


二人がいっしょに納まった写真はそれぞれが子どものような表情に見えました。
写真を見ていると、より良い形が実現したのだと、これまでの長い時間の事も重ねて思われて、
嬉しくなり、すぐにメールでお祝いを言いました。

すぐに返事がありました。
それには、大震災で、ご主人の仕事場が全壊して以来の
いきさつが書かれてありました。

そういうことだったのかと改めて感慨深い気がしました。


今、離婚と結婚という真反対の出来事を知らせてくれた二つの写真が、
心を伸びやかに解き放って、幸せな気持にしてくれています。


レモングラス [雑記]



日当たりも風通しも良い我が家の庭では、
ハーブ類が何も世話をしなくても良く育つ。


レモングラスはたまにハーブティーにしたり、トムヤムクンスープもどきを作る時使う。
けれどもそれ以上に、風にそよぐのを見て楽しむ。




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1年中緑のきれいなローズマリー等と違って、
レモングラスは冬には枯れて,どちらかというと見苦しい。
ハーブに関心のない男の人からは、枯れススキと間違えられたりして、
「何なら、ついでの時草刈機で刈ってあげましょうか。」と言われた事がある。

庭の手入れが行き届いている別の人には、
通りがかりに見えるレモングラスが伸び放題で株分けもされず
大株になったままなのが、気がかりだったようで、
「今度、秋に株分けの頃、手伝ってあげるよ。」と言われていた。


少しの風にも揺れるレモングラスが大株になってからは
その優雅な据わりの良い姿がそれだけで美しかったし、
ゆさゆさと揺れる様子が、一層すてきになっていた。
敏感な繊細さと、奔放さとを同時に見ているようで、
風の強い日はこちらも胸が騒いだ。

冬には見苦しいレモングラスを大株のまま、
通りに面した場所に植えたままにしていたのは、
そこは風の通りが良く、食卓や居間のソファーに座って眺めるのに、
これ以上の場所がなかったからだ。


ある日出先から帰ったら、
そのレモングラスがみんな抜かれて、ひょろひょろと申し訳け程度に
植えなおしてあった。

がっかりして、悲しくなって、その親切心に対して腹立ちを覚えた。


次の日「みんな枯れちゃってたよ。」と言いながらも、
私のがっかりする事が、抜いてから分かったのだと知り、
居心地の悪い気持だったが、苦情は言えなかった。


あれから3年ぐらいたったのだろうか、
まだ大株の風格はないけれど、すこし株が太ってきた。


夕陽に映えて透けるようなやさしい色をしたレモングラスを見ていると
その色以外に理由のない喜びが深いところから湧いてくる。
葉先が、微風にゆれると、又嬉しくなって、
これはがらがらであやされた頃の原体験のようなものが喚起されるのだろうか
などと理由を求めて、考えたりする。

1,2年するとレモングラスは以前の豊かな姿になるだろう。
待ち遠しい気がしていたが、時間は経ってみると
いつの間にか経っているのだ。



金木犀 [雑記]

数日前の朝、隣の家の前を通ったら、
金木犀の香りが漂ってきました。

金木犀と分かる前に、急な朗報でももらった時のような気分になります。

金木犀が香る頃は、丁度残暑からの開放感をしみじみ味わう頃です。
心地よい涼しい風にのって金木犀の香りが流れてくると、
身も心も溶けそうになる事があります。

以前住んでいた家の玄関前の植え込みに金木犀の木がありました。
ある日玄関から出ると、花の香りがするので、
咲いたと思ったら、黄色い花はどこにも見えないのです。

蕾はまだ固くて、開花には間がありそうでした。

でも金木犀は確かに匂っているのです。
それで一生懸命探したら、
花びらが米粒より小さな花がたったひとつ、
まだ、色もはっきり染まらないままで咲いているのを、陰のほうに見つけました。

あんなに小さい花一厘が、これほどの香りを発しているのかと驚いた事を
金木犀の季節には必ず思いだします。

金木犀の香りにはもう一つ鮮やかな思い出があります。
高校生の時、週番の集まりから戻り、
みんなが帰った後の教室に入ったとたん、
金木犀の香りに文字通り包まれたのです。

ガラス窓越しに入った夕方の陽ざしが、教室の空気を暖めていて、
一輪挿しの金木犀も、花の色のように暖かい香りがしました。

のちに、それを追体験しようと、意図して試みたりもしましたが、
教室に入った瞬間のあの時の印象は、
不意に起きた事と無関係ではないのでしょう。



ひっこしたみはるちゃん [雑記]

先日,玄関のチャイムがなって、
出てみたら、近所のあやのちゃんとみはるちゃんが
お母さんと一緒に立っていました。

なんだろうと思ったら、明日おひっこしをするというのです。
「明日ですか!」
と言ったら、あまりに急なので一瞬どうしようと動揺しました。

おととし、長い夏休みをとりに娘一家が揃って帰ってきた時、
ちょうど孫と同い歳のみはるちゃんの家のチャイムをおして、
一緒に遊んで欲しいとお願いしたのが、親しくなるきっかけでした。

あやのちゃんは、みはるちゃんより6歳も年上ということもあってか
小学生だったけれど、5歳のみはるちゃんの保護者のように見える時がありました。

あやのちゃんがやさしいのをいい事に、孫が遊ぶうちに調子づいて、
度を越したいたづらしても、鷹揚にかまえて、ゆったり相手をしてくれました。

それも無理に我慢しているのではなく、寛容な性格からなのが見てとれました。

そんなお姉ちゃんのいる末っ子のみはるちゃんは、
何でも思いの叶うわが天下を信じているふうに見えました。

みはるちゃんの家の前を通って、車で出かけたり、帰るときに、
子どもたちが集まって遊んでいるところに、行き合わせた事が何度もありました。

すぐには誰か見分けられないでいる私に、二人とも手をふってくれて、
みはるちゃんは時にちょっとだけ、車を追いかけるふりをして、、
多分お姉ちゃんにたしなめられたでしょう。

居間の出窓は、お隣の庭と道路越しに、
みはるちゃんの家の玄関先が見える方向にあります。
すそより短めのレースのカーテンを引いたままで、鉢をならべているので、
普段はそこから外を見ることはありません。

偶然に一度だけ、玄関からひとりで出てきたみはるちゃんの姿が
目に入った事がありました。

あっと思って見ていると、道路に出たみはるちゃんは、持ち出した傘を広げて
それをさしたり、たたんだり、手で高く持ち上げたり
肩にかけてくるくる廻してみたり、自分もゆっくり廻ってみたり、
一人でいろいろしていました。

小雨が振り出したところだったので、様子から
新しく買ってもらったばかりの傘をさす機会を、待っていたのかなと思いました。

傘は、ピンクと白い布が傘の骨を境目にはぎ合わせてあって、
ウサギの顔の絵が2箇所くらいに描いてありました。
きっと、「これ!」と自分の思い通りの傘を買ってもらったのだろうと想像しました。

私が見ていることを知らないで、みはるちゃんが自分の世界に浸っていると思うと、
少し気が咎めましたが、目が離せず
気の済んだみはるちゃんが、家の中に入ってゆくまで、盗み見を続けてしまいました。

引越しの朝、お母さんにその時の事を話しましたが、
みはるちゃんの可愛らしかった様子を、上手く伝える事はできませんでした。


成長の早い時期だから、今度会う時は、
あやのちゃんもみはるちゃんも、ぐんと大きくなっているのでしょう。



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胡蝶蘭の事 [雑記]

胡蝶蘭
数年前のいただきものの胡蝶蘭が今年も茎の下の方から順に咲いています。

支柱を立てたりしなかったので、花の茎は鉢から身を乗り出して、前へ倒れこむようにしなっています。
最初の頃とあまりに違う姿なので、始めは支柱を立てないズボラが恥ずかしいような気がしていました。

でも今はその自然な,しなり具合がきれいだと感じています。

小さい型の胡蝶蘭は、植え替えなかったので、くねくねと曲がった根がたくさん鉢からはみ出して
鉢を抱え込むほどになっています。

根で場所を探りながら、自分で良い場所を見つけて
出てゆこうとしているようにも見えます。

自然な場所だったら、胡蝶蘭はこんな風に根を足のように使って、
時間を掛けて徐々に移動するのではないかと思いました。

花がおわったら、すぐに植え替えるつもりです。


河釣り [雑記]

宿に着いた次の日の午前中は、宿の奥さんのガイドで
セラピーロードと名づけられた、近くの渓流沿いの細い道を歩きました。


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細い道に沿ってかんがい用の水路がつづいています。
その流れは、とてもゆったりとしていました。


途中の少し開けた明るいところで、夫が登山用のボンベで、コーヒーを入れました。
木々の間から見えた向こうの山に、気持が惹かれました。


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久しぶりの渓流散策で、何を見ても脚がとまり、
ガイド役の奥さんの言った予定時間を大分上回ってしまいました。
いつか又ここでもっとゆっくりしてみたいと思いました。




連休中宿の近くで河釣りが出来そうだと調べていた夫は、
小さな竿も1本持って行っていました。

好きなわりに釣りができる機会は少ないので、とても楽しみだったようです。
宿までの道中、餌を買おうと店を探しましたが、結局餌は手に入りませんでした。

その事を聞いていた宿の奥さんは、セラピー道路への道すがら、
近所の釣り好きの人のところに立ち寄ってくれました。

ご主人が、川の中の石をはぐって、そこについている虫を餌にして釣るのだと教えてくれて、
水に入るためのウェダーまで貸してくれました。

釣りは夕方近くに出かけました。
餌をとる河原まで案内してくれるという奥さんについて行くと、
今度は車を止めた側の家のご主人が、
餌を生かしておくために、水を吸わせたコケを餌箱にいれて置くのだ、と言うなり
杉林の陰になった道の方へひとりで歩いて行って、苔を取って来てくれました。

夫は広い河の緩やかな流れの中で、石をひっくり返しては、無心に虫集めをしていました。


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帰りに、お陰でたくさん取れた、と先ほどのご主人にお礼を言った夫は、
「餌はたくさんとれようが、魚はたくさん釣れるかの。」とからかわれていました。


釣りをしたのは、大きな橋の下の”八百とどろ”と名前のついた早瀬でした。

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   橋の上から見た"八百とどろ"




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河原には大きな岩がたくさんあり、そこにいろいろな植物が生えていました。
岩のくぼみに水のたまったところなど、そのまま日本庭園の池をみているようで、
待っていても楽しいところでした。



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    キシツツジ




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    トサシモツケ






釣れたのは小さいハヤなどばかりだったそうですが、
短い時間のうちに良く釣れている様子でした。


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「よし、帰ろうか」と竿をしまいはじめたのが、以外に早く思えて夫を見たら、
満ち足りて落ち着いた顔をしていました。
夕方の河原の空気に馴染んでいました。


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   橋の下から、夕方の光。

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