明け方雨の上がった日 [風景]
一日中雨だと予報された日の早朝、
予報通りだ、と布団の中で音を聞いていた雨が、
起き出す頃に上がり、霧が立ち昇りはじめた。
雨のあがったとたん、鳴きはじめた鳥は春の初めにも
ここで聞いたことのある声だった。
いろんな鳥の鳴き方のパターンを真似ているかのような声から、
これが百舌鳥なのだろうかと思ったのだったが、まだ分からままでいる。
この日のお昼に、会食の約束があった。
その間は懐かしい晴れ間も見えて、はずれた予報が嬉しかった。
夕方近くに、温泉に出かけた。
雨で川の水は濁っていたが、明るい空がしずかな水面に映っていた。
下流の山の明るさが、憧れを誘う。
夕方又降り出した小雨の中でも、鳥の声が響いていた。
探鳥会 林佳楽園傍らの渓流 [風景]
お弁当をすませたら、
午後まで残った人たちは、巣箱作りのために
木工用の小屋へ移りました。
深町さんは、小屋をほとんど一人で建てられたそうです。
木は、ご自分の山から切り出して、
立てやすいように、工夫しながら建ててこられたそうです。
例えば、土台を作ってから、その上に柱を建てる、
といった通常のやり方をしないで、
先に柱で枠組みをつくって、その柱の長さにあわせて、
土台のセメントを流すといったやり方をされたのだそうです。
土台に合わせて柱の長さを揃えるより、
柱に合わせて、土台のセメントを調節する方が、
はるかにやりやすいからだそうです。
夫はここで巣箱づくりに参加しました。
私は渓流に遊びにゆきました。
これは、なんとも良い時間でした。
夫はすぐ近くの小屋で、楽しく木工あそびをしていて、
その間、こんな場所で、心置きなく一人遊びができるのです。
心細くもなく、待たせるのでもなく。
靴をぬいで水に入り、流れを渡ったら
たった岩を一つ回っただけで、
他の場所では、ひっそり咲いていた、ミズタビラコが、
群れて咲いていました。
ミズタビラコは、花が勿忘草をおもわせる、
小さくな可憐な花ですが、
今回初めて幹事の小林さんから、名前を教わりました。
名前を知るとそれだけで、
その植物に、とても近づいたように思えました。
タビラコというのはおそらくは
田平子 と書いて、冬ロゼッタの状態で田んぼにある様から
そう、呼ぶのだろう、と後で調べた説明にありました。
小屋からほんの数メートル下ったところに、
別の支流が流れ込んでいました。
ゆっくり遊んで、水から上がって、工作小屋へ行ってみると、
もう巣箱はほとんど完成していました。
自作の巣箱を抱えての記念撮影
鳥の事だけでなく、植物の事もいろいろ教わりました。
オオコノハズクやムササビが見られたり、
巣箱づくりがあったり、
川遊びができたり、
盛りだくさんの探鳥会でした。
午後まで残った人たちは、巣箱作りのために
木工用の小屋へ移りました。
深町さんは、小屋をほとんど一人で建てられたそうです。
木は、ご自分の山から切り出して、
立てやすいように、工夫しながら建ててこられたそうです。
例えば、土台を作ってから、その上に柱を建てる、
といった通常のやり方をしないで、
先に柱で枠組みをつくって、その柱の長さにあわせて、
土台のセメントを流すといったやり方をされたのだそうです。
土台に合わせて柱の長さを揃えるより、
柱に合わせて、土台のセメントを調節する方が、
はるかにやりやすいからだそうです。
夫はここで巣箱づくりに参加しました。
私は渓流に遊びにゆきました。
これは、なんとも良い時間でした。
夫はすぐ近くの小屋で、楽しく木工あそびをしていて、
その間、こんな場所で、心置きなく一人遊びができるのです。
心細くもなく、待たせるのでもなく。
靴をぬいで水に入り、流れを渡ったら
たった岩を一つ回っただけで、
他の場所では、ひっそり咲いていた、ミズタビラコが、
群れて咲いていました。
ミズタビラコは、花が勿忘草をおもわせる、
小さくな可憐な花ですが、
今回初めて幹事の小林さんから、名前を教わりました。
名前を知るとそれだけで、
その植物に、とても近づいたように思えました。
タビラコというのはおそらくは
田平子 と書いて、冬ロゼッタの状態で田んぼにある様から
そう、呼ぶのだろう、と後で調べた説明にありました。
小屋からほんの数メートル下ったところに、
別の支流が流れ込んでいました。
ゆっくり遊んで、水から上がって、工作小屋へ行ってみると、
もう巣箱はほとんど完成していました。
自作の巣箱を抱えての記念撮影
鳥の事だけでなく、植物の事もいろいろ教わりました。
オオコノハズクやムササビが見られたり、
巣箱づくりがあったり、
川遊びができたり、
盛りだくさんの探鳥会でした。
浜辺で [風景]
上盛山から見えていた浜辺は海水浴場の標識があった。
そこにコンクリートで作ってあった、屋根つきの椅子にすわって、
海を眺めながら、お弁当を食べた。
ああ、いいねえ。
のんびりとした景色を目の前に、うっとりしたように夫がいう。
いいねえという気持ちに水を差したくはないので、
そうねえと答えながら、
心にひっかかっている形をとらないものがあって、
目の前の景色に、自分は溶け込んでいないと感じていた。
おもしろいよ。どうしてあんな風な模様ができるんだろうねえ。
と、コンクリートの桟橋を先まで歩いて行って、
海を覗き込んでいた夫が指し示す方を見ると、
桟橋の右側と左側の水底に海藻が
それぞれ縞模様と、円をつくっていた。
ほんとだ、潮の流れ方がちがったりするのかしらねえ。
とろんとして湖のようだった、海面に
微かだが、風が渡り出して、
静かな波が打ち寄せはじめると、
けだるく感じられた浜が、生気を取りもどしたようだった。
島影 上盛山より [風景]
どこかでゆっくりしようと、行き先を決めずに車で出かけて、
通りがかりに、上盛山とある標識が目に入った。
展望が良いと知って名前を覚えたのは、つい最近のことだった。
物語の世界は別として、何でも簡単に擬人化はしたくないと思っているのに、
先日来、遠景の島の姿を眺めると、島に人格のようなものを感じていることに気がついた。
海の真ん中で、長い時間をかけて話し合っているようにみえたり、、。
” あそこみみえている浜辺に行ってみよう”という事になった。
馬篭にて [風景]
4月半ば、
息子の運転する車で中央道を通って、東京まで行く機会がありました。
宿泊した中津川から中央道に入る前に、
時間のゆとりがあったので、
ワンポイントで、馬篭を見てからゆく事にしました。
駐車場から、
写真は撮りませんでしたが、(そばに観光客がいたからだったか、、、)
駐車場jの近くに並んだ大きな桜の木は今が盛りの満開でした。
桜はもう終わりだと思っていたので、
タイミングの良さが嬉しくなりました。
白い残雪の見える山が南アルプス最南端の恵那山です。
馬篭出身の島崎藤村の生家跡が記念館になっていました。
せっかくだしと思い、入りました。
資料は、読むと面白く、時が違えば丹念に読んだのかもしれませんが、
花が咲き乱れた春の日差しの中をゆっくり歩いていることが
、あまりに心地よかったので、
古い資料がびっしり集められた建物の中に、長居する気にはなれませんでした。
ベランダからの景色を売りものにしていた
喫茶店の、ベランダに座りました
悠然とした恵那山の全貌がみえました。
高い山の懐に抱かれているような風景の中にいると、
何ともゆったりとして、落ち着いた気分になるものです。
息子の運転する車で中央道を通って、東京まで行く機会がありました。
宿泊した中津川から中央道に入る前に、
時間のゆとりがあったので、
ワンポイントで、馬篭を見てからゆく事にしました。
駐車場から、
写真は撮りませんでしたが、(そばに観光客がいたからだったか、、、)
駐車場jの近くに並んだ大きな桜の木は今が盛りの満開でした。
桜はもう終わりだと思っていたので、
タイミングの良さが嬉しくなりました。
白い残雪の見える山が南アルプス最南端の恵那山です。
馬篭出身の島崎藤村の生家跡が記念館になっていました。
せっかくだしと思い、入りました。
資料は、読むと面白く、時が違えば丹念に読んだのかもしれませんが、
花が咲き乱れた春の日差しの中をゆっくり歩いていることが
、あまりに心地よかったので、
古い資料がびっしり集められた建物の中に、長居する気にはなれませんでした。
ベランダからの景色を売りものにしていた
喫茶店の、ベランダに座りました
悠然とした恵那山の全貌がみえました。
高い山の懐に抱かれているような風景の中にいると、
何ともゆったりとして、落ち着いた気分になるものです。
黒岩峡のさくら [風景]
もう、桜の盛りは過ぎましたが、
今年は、強い風が吹かなかったのか、気温のせいか
いぢどきに散ってしまうという事がなかったようです。
まだ遅く咲いた桜が見られるはず、、、とふらふら車ででかけて
たどりついたのは、黒岩峡でした。
花の残り具合は、海際あたりとそれほど違いませんでした。
ほとんど散った木もあり、まだたくさん花を残している木もあり、、といったところでした。
木々の茂みの暗いところでも、
日を透かして光っている薄い葉っぱと
反射して光っている厚い葉っぱがあって、
無数の小さな光があふれていました。、
ずっとせせらぎの音がしている中で、シジュウカラのさえずりなどが交って
響きます。
写真は上手く撮れていませんが、
流れが一部せき止められたようになって、渦を巻いているところがありました。
桜の花びらが、その流れに沿って、ぐるぐる廻っていましたが、
まるで、ダンサーが順番を待って、
踊りの舞台へ次々繰り出されて行っているようで、
急に生き生きと動き出すようすなど、見ていると楽しげでした。
黒岩峡が素敵なのは、流れに迫った暗い崖の反対側は
登って来るようにと招くような明るい尾根が見えることです。
とてもゆっくりのペースで歩いて、
たとえば、車ならオイル交換したような、、、
なんだかあたらしい気分になってかえりました。
今年は、強い風が吹かなかったのか、気温のせいか
いぢどきに散ってしまうという事がなかったようです。
まだ遅く咲いた桜が見られるはず、、、とふらふら車ででかけて
たどりついたのは、黒岩峡でした。
花の残り具合は、海際あたりとそれほど違いませんでした。
ほとんど散った木もあり、まだたくさん花を残している木もあり、、といったところでした。
木々の茂みの暗いところでも、
日を透かして光っている薄い葉っぱと
反射して光っている厚い葉っぱがあって、
無数の小さな光があふれていました。、
ずっとせせらぎの音がしている中で、シジュウカラのさえずりなどが交って
響きます。
写真は上手く撮れていませんが、
流れが一部せき止められたようになって、渦を巻いているところがありました。
桜の花びらが、その流れに沿って、ぐるぐる廻っていましたが、
まるで、ダンサーが順番を待って、
踊りの舞台へ次々繰り出されて行っているようで、
急に生き生きと動き出すようすなど、見ていると楽しげでした。
黒岩峡が素敵なのは、流れに迫った暗い崖の反対側は
登って来るようにと招くような明るい尾根が見えることです。
とてもゆっくりのペースで歩いて、
たとえば、車ならオイル交換したような、、、
なんだかあたらしい気分になってかえりました。